SLASH

バレエダンサー・振付家・教師 

井口裕之のブログ

トランスジェンダーでなくても自分のなかに異性的な要素をみんな持っていると感じていると思う。身体的に男性だからといって100%中身も男性的という人はいないんじゃないかな。僕は性別は男だし、恋愛対象は女性で、男に惹かれたことは一度もないが(お誘いはとてもよくされるが)、精神的には男60%、女40%って言うぐらいが自分としてはしっくりくるし、妻いわくちょうど半々ぐらいに見えるというからあながち間違ってはいないんだろう。
だいたい男らしさ女らしさというのも定義できるものではないのだが、一般的なイメージは
男 =攻撃的、理論的、破壊好き、メカ好き、大雑把、豪快、ロボとか恐竜大好き。
女=  保守的、感情豊か、創造的、おしゃべり好き、優柔不断、繊細な、子供好き、恋愛話大好き
とかそんなイメージ。
実際には攻撃的な女性や子供嫌いな女性もいるし、優柔不断や創造的な男性も多い。
というか、アーティストは女性的側面が強い人が多いから創造的なのかもしれない。

20年ぐらい前、ユングって心理学の巨人の本を読んだことがあった。その時はあまり理解できなかったが、アニマとアニムスという言葉はよく覚えていた。最近、精神的な性別が気になって思いだしたので調べてみると

アニマ=男性の無意識にある女性的側面

アニムス=女性の無意識にある男性的側面

アニムスを持たない女性もいるらしいんだけど、そういう人は主義主張が殆どない傾向なのだとか。面白みのない女性がやたらと男にもてるのは、男のなかのアニマと主張のない女性像が結びつくのだそう。
「おお!君こそが理想の女性像だっ!」ってなる。村上春樹の「ノルウェイの森」なんかまさにこんな感じ。主張のない直子に惚れた主人公がやがて生命力溢れたミドリに惹かれていくストーリー。

そういや、男まさりに仕事ができるアニムスを宿した女の人って男にもてないってよくいってるが、ノルウェイの森的にはまだ希望はあるぞっアニムス(兄娘)たちよ!

人間は肉体的な殻を剥ぎ取れば誰でも精神的には性別を超越した存在なのかもしれない。
どこで読んだのか忘れてしまったが、雌雄がはっきりしている種族というのは実は自然界ではまれで、微生物も含めたその殆どか両性具有らしい。

そういえば僕のまわりには男女問わず同じような精神的男女割合の人が多いし、気の合う友人というのはその割合が近しい人々が集まっているのではないかな。

男性割合が多い女性のなかには男と話している方が楽って人もいると思うけど、かといって男割合80%の男性とは合わないと思う。それぐらいの割合になると性別男の俺でも苦手だし。

女性といっても中身は(割合)人によって全然違うので、話すのが苦手な男は自分の中の女性的な側面や相手の男性的側面にフォーカスして話すといいのかもね。
最近、満員電車に乗ることが多くなり、降車時にぶつかられることがよくある。
なかには自分の苛立ちをぶつけているような押し方もあり、こちらも腹がたってくる。

試しに押されるがままに悪意に翻弄されてみようかと実験してみる。
瞬間にサンドバッグのようにされる中央線で
柳のように流されるまま悪意の中に身をおいてみる。肩で突かれる、背中おされる、腕でグイッってやられる等。無抵抗にやられっぱなしにしてみる。

結果、イラッとはこなかったけど意外と傷ついている自分がいたりすることがわかった。
人には優しくしようぜ。心の内で血が流れるよ。

押す以外にも、自分の場所を絶対防御する人もいる。向こうの人は未動きとれないほどギュウギュウなのに自分のスマホスペースは死守。そのディフェンス力、まさに守護神。

職場とか知り合いが居る場では絶対やらない行動を平気でとれてしまうんだろう。
戦争や非常時に他人や自分がどう行動するかがこういったことからもわかると感じた。
みんな自分なりの正義があるからね。

非常時の精神訓練として満員電車、おすすめしておきます。
今日は日常的なブログでした。

以前師弟関係について書いたが、書き足らなかったこともありもう一度書いてみる。

「技術的に優秀な教師が必ずしも優秀な生徒を育てられるとは限らない」

これは芸能だけでなくスポーツや技術職全般に言えることかもしれない。反対に普通の教師から素晴らしい生徒が生まれることがある。まさに”鳶が鷹を生む” というやつだ。
当然教師が優秀ならその確率は上がっていくので優秀なほうが良いが。

優れた教師はクラスの平均点を上げることで優秀な鳶を多く育てることができるがそれ以上の生徒を生み出すには他の要素が必要だ。

それは“ 弟子としてのあり方 ” にあると思う。

それは師を信じる力とも言える。
不完全な師を完全なるものとして受け入れ信じることが出来た弟子のみがその壁を越えることができる。自分の価値観を一旦横に置き盲目的に信じること。これは師に主導権があり全てを受け入れるマインドコントロールではなく、弟子が主体的に信じることを選択するのである。言い方は悪いが、自分の力を120%引き出す為に積極的に騙されるのである。

そしてより多くの生徒にそれを信じさせることができる指導者がよい先生であると思う。

弟子自身が知識を学ぶのは大切だが、タイミングによってはかえって害になる。疑問を持たずに盲信することで自分の限界を越えるやり方というのは昔から存在するからだ。

そして、弟子が師のもとを精神的に離れるときも弟子が主体的に決めることなのである。生徒が離れていく時に自分が否定されたと感じて傷つく教師がいるが、生徒がはなれてもそれは生徒の「問題」であり教師自らの「問題」ではない。
※ここでいう「問題」とは否定的な意味ではなくIt is not my business みたいなニュアンス。

鷹は高いところを飛ぶから遠くまでみわたせる。弟子は師が自分より数段高い次元にいると仮定し、その理想の高みに向けて邁進する。そしていつしか師が見ている景色よりも高い場所に自ら到達しさらに遠くを見渡すことができるのである。

聖書には「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」という言葉がある。イエスの復活を信じない弟子に向けて語った言葉だが、これこそ師弟関係を表す最もたる言葉だと感じた。

優れた教師というのは弟子としてのあり方を示せるということだろうね。


鷹とかって小鳥とかネズミとか獲っているだろうけど、そんな簡単にとれるのだろうか?よく生きていけるなって思う。

よく考えて見ると同じ種類の動物でも警戒心の強いタイプ、攻撃的なタイプ、ゆったりタイプなどいろいろな個体がいる。ボーッとした個体は肉食動物の餌としてある一定の割合生まれてくるのではないのか。肉食動物を生かすためのバランスとして。

それを性格の多様性と呼ぶのは人間本位ないいかたであり、動物に限らず人間だって何かの餌としての存在意義があるのだと思う。自分の命を与えることで他の命が助かる生物のバランス。
僕はそんなの死に方はまっぴらゴメンだが。

とはいえ、幼い頃にボーッとしている子供が世の中を変えるような人になった例は人類には多くあるのをかんがえると、本来他の動物の餌になる弱い個体を集団で守ることで人類は繁栄したんだろう。

さすがに大人になってまでボーッとしていると存在意義が失われていくのかもしれないね。「餌になりなさい」って言われないようにしないと。



音楽が聞こえなければ
踊っている人は
狂っているようにみえるだろう


人生は無意味なものだ。
皮肉ではなく、人生は本来意味付けをするようなものではないということ。

僕はダンサーであり、振付家だ。
しかし災害や戦争などこの世界に蔓延する悲しいニュースを見るたびに踊りなんてなんの役に立つのだろうかとよく思っていた。

しかし人生の後半を迎えて理解したのは、前半が前方に向かって走ることならば、後半はその場で踊り続けることなのかもしれないということだ。

前に向かう時には夢や理想という名の目標が必要だ。しかし夢の場所にいける人はごくわずか。運良くその場所に辿りついても思っていたのと違っていたこともままある。そもそも夢が見つからないまま大人になる人だっているし、道半ばで亡くなる人だっているだろう。

では目標を持てなかったり、たどり着けなかった人生とは意味のない人生だったのだろうか?夢のない若者を人生の不具者のように扱うことは正しいことなのだろうか?さらに言えば震災や戦争や病気で突然未来を奪われ、それぞれの「目的地」に達することができなかった彼らの人生に、その「死」に意味はあったのだろうか?

遺族にとってはその「死」に向き合うことで何かを考え直したり、転機になったりすることは確かにあるだろう。だが、当の本人はどう思うのだろうか?

現実には意味のない死が延々と続いてきたのが人類の歴史だ。そしてそれは人生に意味なんてないことを表しているのではないか。

人は生まれ、成長し、恋をして子を残し、そして死んでいく。消えては生じ、生じては消えるこの綿々と続く生命の営み。人生とはそのなかで今を精一杯生きることだろう。瞬間に流れてくる音楽に合わせて身体を動かし続けるダンスのように。

生み出しては消えていく意味のないステップ。どこにも辿り着かない運動の連続。目まぐるしく起こる創造と消滅。誕生そして死。

8年前、まわりにいる多くのダンサーが己の無力感を感じた。直接支援をしている自衛隊、食べ物や燃料を届ける物流、街を復興させようとする建築業などの活躍に比べ、生活の余剰で成り立つ娯楽を生業とするダンサーの存在意義を自ら問い直した時だった。

直接支援にいったダンサーもいた。公演にいったバレエ団もあった。
僕は長い年月をかけ、そんな時にこそダンサーが必要とされるのだと理解した。

それはどんなに未来が見えない状況でもステップを踏むように人生を切り抜けること、今日一日をなんとか踊りきること。絶望の縁に立つ人々にその生き方を伝えることがダンサーの役割だと感じた。

失敗や後悔、恥ずかしい思いは誰でも沢山ある。だけどその時は、その瞬間に流れた音楽に合わせてみんな必死に踊っていただけだった。うまく踏めないステップ、転んだこともあった。だけどこの先も音楽がなる限り踊り続ける。そしてリズムがかわればそれに合わせて踊りを変えるだけだ。

ダンスの本質が踊ることそれ自体ならば、人生の本質も生きることそれ自体なのだから。
無意味である人生を生き抜くように、意味なんかないステップを楽しく踏み続ける。

だからみんな、踊り続けよう。
生という音楽が止まるまで。
3月1日、誕生日を迎えました。

太陽の周りを地球が43回まわる時間。その間に出会った人々ややってきた時間を思い出すと43周なんて意外と少ない感じがする。

43年前のこの日、両親はどんな思いだったのだろうか。誕生日は普段考えないことを思い出す良い機会。

誕生日ケーキを前に大きな声でハッピバースデーを歌ってくれる子供たち、寄り添ってくれる妻。自分が築いてきた時間をゆっくりと思い返す素敵な時間。

40代になると今まで以上に時間を大切にするようになる。題名を忘れてしまったが村上春樹の小説で、人生を70歳たと規定して35歳の時が折り返し地点という内容があった(70以上生きられたらそれは運が良かったとして考えるんだそうだ)。
35歳の誕生日の時にここからは後半戦だと思ってみたが、40代になってからはそれを実感することが多くなった。結論を世の中に示す時がきたからだと思う。

歳を重ねていくと選択肢は減り迷わなくても良くなるという。しかし、選択できなくなったにも関わらずいつまでもそれを持ち続けてしまうことがある。僕らの世代では選択できなくなったものを判別し手放していく努力が必要だ。

可能性の断捨離。

とはいえ捨てるっていうのがなかなかできないもんだなあ。

なんか相田みつをみたいになって終わってしまった。。

僕は" 謙虚 "という言葉が好きではない。


謙虚で素晴らしいと言われる人を一度も魅力的な人間だと感じたことがないからかもしれない。彼らはいつもセキュアなのであり、ディフェンダーである。謙虚に攻めることはできない。

社会を変えようとする人は既成概念や、既存の勢力と戦うオフェンス気質が必要だ。世界をより良いものにしたいというエネルギー。そこにある生命力に魅力を感じる。


謙虚な人は向上心をいつまでも持ち続けていることは確かだと思う。だが彼らに魅力を感じない理由は、それが自己の能力を上げていくという自分自身の輪の中で完結してしまっている小ささにある。謙虚さから生まれる向上心にしみったれた暗さを感じてしまう。健全な向上心は好奇心と社会貢献を志す気持ちから生まれるからだ。


しかし日本では謙虚さにとても価値をおく。まだまだ至らぬところもありますがとか、未熟でありますがという挨拶にそれが集約されている。業界によっては60代なのに「諸先輩方を差し置いて・・・」とおっしゃっていますが、差し置かなかったら先輩が死ぬのを待しかない。処世術といえばそれまでかもしれないが。なんといっても「虚」(中身のない)謙「へりくだり」なのだから。


理想とする場所に到達する(至る)までは自信を持って発言することはできないという気持ちはわかる。が、それはいつ?ということを意識して考えておかないと一生主張がないまま終わってしまう。有効期限の設定。


憧れを追いかけるのはある程度の年齢まではいい。夢や目標は走るための目印。でもある時点で自分がやってきたことを振り返り、ここまで至ることができたと自分の後ろに線を引かなくては自信をもって発言することすらできなくなる。たとえそれが理想とした場所でなくても。


僕がこのブログで結構断定的にものをいうのは、もうハッキリと言ってもいい年齢だろ?という気持ちがあるからだ。40数年生きてきて経験したこと、体験したこと。部品の数は足りないかもしれないが、あるもので組み合わせて世の中に向けて発信する。

40年も生きてて未熟とかいってられないのだ。



インドの話、後半。

ガンジス川のあるバラナシで東大くんと別れ寝台列車でニューデリーへ。
ニューデリーは埃まみれの大都会。駅から出た途端、ひっきりなしに売込みの嵐。三輪タクシーやら、ガイド、ホテルの紹介業者、各種お店の呼込み、飴屋、チャイ屋、風船屋、はては耳かき掃除屋までありとあらゆる業者からのアピール。まさに10メートル間隔で話しかけられる。荷物が重いのと長旅で疲れてたのもあり耐えられなくなったのでひっついてくる4、5人のインド人を集めて話をする。家族のために稼がなきゃいけない君たちの事情はわかる、だけど僕は疲れ切って死にそうなんだ、お願いだからしばらく一人にしてくれと頼む始末。これ一人旅なんですけど。

インドにいった人は、どっぷりハマってしまうか二度と行きたくないかのどちらかだ、と言われている。
列車は遅れるは、ガイドに騙されて人間不信になるは、バスに乗ったら変な郊外に連れて行かれるはで限界に達してた僕はこの時点で完全に後者のほうだった。
あまりに自分の思い通りにならない毎日にイライラしていた僕は日本の生活スタイルを象徴するあるモノを身につけていたことに気がついく。

腕時計だった。

おそらく先進諸国から来た人は無意識に一日が24時間に区切られている感覚があるのではないか。1時間は60分で1分は60秒。まるで、目には見えない時計のメモリが流れていく時間に刻まれているような感覚がある。
それに対してインドという国は一日は日が昇り太陽が沈んで、月がでてと地球のリズムで動いていた。

それに気がついた時、街中の雑踏の中で、遠くの地平線が見えた気がした。回っていく地球のなかで僕らは生きていた。

あとは簡単だった。時計を外し、日が沈むまでにうまくいけばいいかと思うようにした。
余裕ができると鬱陶しかったインド人も楽しい隣人になり、店のなかでお茶とかだしてくれたりする友達が何人もできた。

インドにハマって帰ってくることができて良かった旅だった。

まだイギリス人の女の子に頼まれて一日偽装結婚した話とか、散歩にでたら無一文で迷子になったアホな日本人を助けた話とかいろいろあるけどそれはまた次の機会に。




23歳のときにインドにバックパッカーでいった。リハーサルが急に10日なくなり思い立って飛行機をとりインドへ。

カルカッタに到着した時は夜中。不安なので宿まで同行させてほしいという日本人と一緒にホテルへ向かう。まあ、旅は道連れって言うし一緒に泊まるかっ!となり、結局旅の半ばまで二人で行動をしていた。
彼は東大の学生で外務省への就職が決まって卒業までやることがないから旅行にきたらしい。
ぼったくりガイドに二人でだまされたり、ガンジス川で一緒に朝日を見たりしたのに、もう名前も覚えていない。今頃は結構なポストまで上がってきているのかな。

言わずもがなだけどガンジス川はヒンドゥー教の聖地。ヒンドゥー教徒は死ぬ前にガンジス川までたどり着きそこで灰にされることを望む。インド中から列車やバスで、あるいは徒歩で人生最後の巡礼の旅にでるそうだ。
幸運にもだどりつけた老人たちは、早朝の礼拝、沐浴を日課に川岸の細い路地で自らの死を待つ。

僕たちはボートを貸し切りまだ暗いうちにガンジス川へ漕ぎ出した。日の出とともに始まる大音響の礼拝と沐浴、カラフルなサリーに身を包んだ女性達、岸を詰め尽くすほどの信者たちに圧倒される。やがてガイドが岸辺にある火葬場の一つにボートを近づけると、櫓の上で荼毘にふされている遺体があった。脇に立っている男が遺体を棒一本で巧みにひっくり返す。

その瞬間、真っ黒に焼け焦げた身体から沸騰した血液が血しぶきとなって口から吐き出された。

彼がどんな人生をおくってきたのか、どのようにしてそこに辿り着いたのかは知る余地もないが、敬虔な信者としての人生のフィナーレを異国の若者に目撃され、その人生感を変えてしまったとは思いもしないだろう。

現世では肉体を重要視してしまうが、死後を扱う宗教では魂に重きを置く。肉体は死んでしまえば殻みたいなもの、殻に執着してはいけないというように。

しかし彼は死を迎えた肉体により強烈にインパクトを残した。黒焦げの抜け殻を世界に晒し、灰になってガンジスに流される行為をもって肉体というものが魂に対して劣ったものではないと証明したと感じた。

自らの死に方を選択した彼は、死ぬことにより強烈に「生」を生きたのだ。

「肉体」を使い切ることによって。

輪廻とは少し違うけど、彼の人生の一部は確実に僕に受け継がれたと感じた。

「武士は死ぬこととみつけたり」の葉隠を愛した三島由紀夫を思い出した。


数日前、自転車に乗っていると突然モワッとした甘い香りに包まれた。見ると梅の花が咲いていた。
今までの生活だったらそこに梅の木があることすら気がつかなかったが、色々な環境の変化でその道を自転車で通ることになり偶然が重なってその香りを嗅ぐことができた。

人との出会いも、自分が選択してきた人生の偶然によって出会いがあり別れがある。そして、選択により出会えなかった人もいる。

そういえば子供の頃にゲーム小説のような本があった。冒険を進める途中に二者択一の選択があり、Aを選択する人は258ページへ、Bは35ページへみたいな感じで読み進め、何種類かのエンディングが用意されていた。選択によっては読まれない頁も多数あり、その頁が気になって何度も読み返し楽しんでいた。

本は読み返すことができたが、自分の人生で開かなかった頁に誰がいたんだろうと最近よく思う。出会えたら面白かったんだろうなって人達がまだこの世には沢山いて、今この瞬間の選択で出会う人と同じぐらいの出会わない人々が作られ続けるんだろう。

その人たちとは縁がなかったんだよとか、出会うべき人達とは出合うものなんだよみたいな運命論的な考えには僕はあまり賛同しない。運命論とは行動をおこさなかった言い訳を美しく装飾してしまう。それは現在の努力や失敗をないがしろにし、自らの人生を限定された小さいものにしてしまう。

人生は未来からの導きを辿るのではなく、今ここの自分の選択によって変わるものだ。人間は前方のぼんやりとした光に向かってなんとなく進むのではなく、自らが手にした光を前に向けることで進んでいくんだと改めて感じる。

そんなことを梅の香りが教えてくれた。

12月という冬のはじまりにフリーランスになった。木々が枯葉を落とすように今まで身につけていたいろいろなものを一度落とし、厳しい冬に突入した。

枯木は無駄なものを削ぎ落とし北風の中ただ悠然と立っている。冬の間に根にしっかり力を蓄えやがてくる春をむかえる準備をする。

辞める前は厚生年金のこともあり皆さんから老後の心配をされた。他人に言われて平然としているような図太いタイプではないので言われるたびに不安になり考える。
しかしその「老後」とはなんなんだろうか。老後の不安から設計した人生とはなにか。現在とは未来のために犠牲にする時間なのか。

その疑問を考え、自分に与えられた時間、残された時間を考え答えを見つけ出す。
一つの仕事場を去る時には自分の人生と向き合う機会であり、精神的に数年分の歳をとる。出会う人、一人ひとりが未来に繋がっていると思えるようになりその人達を大切にするようになる。

必死で毎日、毎日生きていると新しい根が思ってもみないところからニョキニョキはえてくる。今まで眠っていた能力が目覚めていきできることが増えていく。思えば名古屋にきてからの7年間、僕の支えになったのは新国立劇場を辞めたあとの空白みたいな期間にため続けた力によるところが大きい。その時もいろんな根が生えてきた。

そして今日もまた北風のなか根を伸ばす。
再び花が咲く日を目指して。
現代では一部の年配者を除き圧倒的にメールやラインの方が良いと言う人が多い。とはいえ大体の人は内容の重要度に応じて、対面での会話→電話→メール→ライン、メッセンジャー等、みたいな振分けをしていると思う。

僕はコミュニケーションが得意なほうではな
いので、本当はメールやラインで済ませてしまいたい。電話はかなりハードルが高く、対面する方がまだいい。いつも意を決して電話をする。

そういえば子供の頃から友達を遊びに誘うのが苦手だった。断られた時のショックを考えるとなかなか言葉が出なかった。

メールがない時代は電話をしなくてはいけないので否が応でもスキルは上がっていく。電話が苦手な人は周りにも多い。相手の表情が見えずに声だけの不自然なコミュニケーションに未だに人間は不安を感じるのかもしれない。

相手の電話対応が上手ければリードされている内に気持ちよく終わってしまう(まるで自分が話上手なのかと勘違いするかのように)。話終わったあとに反省してしまうような会話だったときは、相手も話しベタなんだなと思うようにしたらちょっと気が楽になる。なので僕が電話をとったときは向こうも緊張してるんだろうなと思い、気を使うようになった。

闇鍋じゃないけど、輪郭もわからないぐらいの本当の真っ暗闇で会話するイベントやったら楽しそうだな。街コンならぬ闇コン。

とりとめのない今日のブログでした。読んでくれてどうもありがとう。