選択と梅の香り
数日前、自転車に乗っていると突然モワッとした甘い香りに包まれた。見ると梅の花が咲いていた。
今までの生活だったらそこに梅の木があることすら気がつかなかったが、色々な環境の変化でその道を自転車で通ることになり偶然が重なってその香りを嗅ぐことができた。
人との出会いも、自分が選択してきた人生の偶然によって出会いがあり別れがある。そして、選択により出会えなかった人もいる。
そういえば子供の頃にゲーム小説のような本があった。冒険を進める途中に二者択一の選択があり、Aを選択する人は258ページへ、Bは35ページへみたいな感じで読み進め、何種類かのエンディングが用意されていた。選択によっては読まれない頁も多数あり、その頁が気になって何度も読み返し楽しんでいた。
本は読み返すことができたが、自分の人生で開かなかった頁に誰がいたんだろうと最近よく思う。出会えたら面白かったんだろうなって人達がまだこの世には沢山いて、今この瞬間の選択で出会う人と同じぐらいの出会わない人々が作られ続けるんだろう。
その人たちとは縁がなかったんだよとか、出会うべき人達とは出合うものなんだよみたいな運命論的な考えには僕はあまり賛同しない。運命論とは行動をおこさなかった言い訳を美しく装飾してしまう。それは現在の努力や失敗をないがしろにし、自らの人生を限定された小さいものにしてしまう。
人生は未来からの導きを辿るのではなく、今ここの自分の選択によって変わるものだ。人間は前方のぼんやりとした光に向かってなんとなく進むのではなく、自らが手にした光を前に向けることで進んでいくんだと改めて感じる。
そんなことを梅の香りが教えてくれた。
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