謙虚


僕は" 謙虚 "という言葉が好きではない。


謙虚で素晴らしいと言われる人を一度も魅力的な人間だと感じたことがないからかもしれない。彼らはいつもセキュアなのであり、ディフェンダーである。謙虚に攻めることはできない。

社会を変えようとする人は既成概念や、既存の勢力と戦うオフェンス気質が必要だ。世界をより良いものにしたいというエネルギー。そこにある生命力に魅力を感じる。


謙虚な人は向上心をいつまでも持ち続けていることは確かだと思う。だが彼らに魅力を感じない理由は、それが自己の能力を上げていくという自分自身の輪の中で完結してしまっている小ささにある。謙虚さから生まれる向上心にしみったれた暗さを感じてしまう。健全な向上心は好奇心と社会貢献を志す気持ちから生まれるからだ。


しかし日本では謙虚さにとても価値をおく。まだまだ至らぬところもありますがとか、未熟でありますがという挨拶にそれが集約されている。業界によっては60代なのに「諸先輩方を差し置いて・・・」とおっしゃっていますが、差し置かなかったら先輩が死ぬのを待しかない。処世術といえばそれまでかもしれないが。なんといっても「虚」(中身のない)謙「へりくだり」なのだから。


理想とする場所に到達する(至る)までは自信を持って発言することはできないという気持ちはわかる。が、それはいつ?ということを意識して考えておかないと一生主張がないまま終わってしまう。有効期限の設定。


憧れを追いかけるのはある程度の年齢まではいい。夢や目標は走るための目印。でもある時点で自分がやってきたことを振り返り、ここまで至ることができたと自分の後ろに線を引かなくては自信をもって発言することすらできなくなる。たとえそれが理想とした場所でなくても。


僕がこのブログで結構断定的にものをいうのは、もうハッキリと言ってもいい年齢だろ?という気持ちがあるからだ。40数年生きてきて経験したこと、体験したこと。部品の数は足りないかもしれないが、あるもので組み合わせて世の中に向けて発信する。

40年も生きてて未熟とかいってられないのだ。



HIROYUKI IGUCHI

バレエ振付家・教師 井口裕之のホームページ クラシックバレエ・コンテンポラリーダンスのクラスや振付作品の紹介をしています。

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