ビッグ・ベアー 1

衣装協力 島地保武
写真 岡本昌夫
ずいぶん前に「穢れ」をテーマにしたコンテンポラリーダンス作品を創ったことがあった。扱ったのは血や死、性の穢れなど。テーマが重いのでコミカルにつくったが、この人間特有のケガレって感覚は何処からきたのか。

その感覚は生来のものなのか後天的についたのか。血が床に落ちていたら喜んで触る人はいないけど(それが焼肉のタレでも触らないが)病気の伝染を警戒する以外に心理的に忌みするなにかがある。

自分の体内から出たものすら離れた瞬間になにかが変化する。例えば鼻血や抜け毛。愛おしい髪の毛は落ちた瞬間にゴミになる。ウンチだってそう。別段愛おしくはないが。

性に関して、なんとなく人前で話してはいけない後ろめたい感覚は明治以降のキリスト教の影響らしいが、江戸時代だって表通りで昼間っからセックスしている人はいなかったと思う。そこにはやっぱり人前ではダメですよのなにかが働いている。

先日週間SPA!がバカげた特集をやり問題になった(ヤレそうな女子大生学校別ランキング)。女性軽視の声を上げたあの女子大生は素晴らしいが、そもそもすぐセックスできる女と言われることが侮辱されているという価値観はどこからきたのだろうか。
※一応誤解のないように言っておくが、SPAの記事は女性軽視だし、あの学生の言い分はまっとうだと思っている。

極端な例だが、コンビニと風俗関係のアルバイトではどちらも悪い事はやっていないが明らかに後者のほうが白い目で見られる。
その根底にあるのは性はおおっぴらにしてはいけない何か。動物にはない人間を人間にしたり得ている何か。

こういう感覚の芽生えはおそらく人類が初めて衣服を着たときまで遡るのではないか。完全に憶測だけど初めは冬がきて寒くて毛皮を着ていた。春になりだんだんと脱いでいったが夏が来た時に裸に戻るのはなんとなくなぁって思った、皆が隠しているので出すのがなんとなくNGになっていった、とかね。
防御的にも無防備な感じがするし。

次回に続く



HIROYUKI IGUCHI

バレエ振付家・教師 井口裕之のホームページ クラシックバレエ・コンテンポラリーダンスのクラスや振付作品の紹介をしています。

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