子供の目線
名古屋にきてから本格的に子供の指導をはじめた。当初は慣れていなかったのでかなり苦戦した。ともかく理解させようと必死に説明するが、使っている言葉が大人の言葉だったのか反応も殆どなし。まるでニコニコ動画のコメントのように彼らの頭の上を僕の言葉が流れていく。
「ああ、こんな先生子どもの頃にいたな」
ある日そんな自分を客観的に眺めている自分に気が付いた。その先生はいつも気ぜわしく、言葉が通じない子供たちにイライラしていた。多分一生懸命だったんだと思う。そしていつのまにか僕らの前からいなくなり通りすぎていった。今となってはあの時あの先生はあきらめたんだなと分かった。
子どもはひっきりなしに動いているようで、実は心が動きつづけているのは大人の方。限られた時間、カリキュラムの進行具合、子どもたちの態度、ほかの仕事のことetc.etc...同時に複数のことを考えなくてはいけないから止まってなんかいられない。大人が動きすぎれば子どもたちは置いてきぼりになる。
なので彼らの前で一度立ち止まることにした。
時間も気にしない、進行も殆ど気にしない。やる事を限定して同じ歩幅で歩いてみた。
すると途端に彼ら特有のユーモアさを発揮してくる。
ここ数年は小さな子供たちに教えるのは僕の楽しみになっていた。放課後一緒に遊んでるみたいな感覚。
子供への指導は舞台の表現と似ているところがある。
シンプルにすること。
はっきりと伝えること。
良寛和尚ではないけど、子供たちとの関わりの中に創作の種をよくみつけることができた。
指導している時、生徒のなかに子供の頃の自分がいつも混じっている。
その時の自分からみて「ああ、この先生面白いな」って言ってもらいたい。
2コメント
2019.01.18 03:17
2019.01.15 08:59